伊香保の温泉は昔から名湯として知られています。南北朝時代の書物にすでに温泉が湧出していると書かれているので、本当に古くからある温泉です。
さて伊香保には『黄金(こがね)の湯』と『白金(しろがね)の湯』がありますが、もともと伊香保の温泉は、『黄金の湯』だけでした。
『黄金の湯』は湯の中に含まれる鉄分が空気に触れて酸化し、独特の茶褐色になるためそう呼ばれる様になりました。『白金の湯』は近年湧出が確認され、その温泉は1分間に110リットルという豊富な湧出量で、色が無色透明だったので、この名が付けられました。
ちなみに伊香保の名前の由来をご存知でしょうか。その語源はアイヌ語のイカホップ(たぎる湯)からきているとか、上州名物のイカヅチ(雷)と、燃える火(ホ)と関連がある等と伝えられています。
エルヴィン・フォン・ベルツ Erwin von Balz, 1849年1月13日 - 1913年8月31日 ドイツの医師。お雇い外国人として日本に招かれ、27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。また、草津・箱根を湯泉治療地として開発した。1905年には旭日大綬章を受賞。
ベルツ博士はドイツ人の医者で、明治政府に招かれて、明治9年に東京医学校(現東大医学部)の内科医教授として日本にやってきました。
ベルツ博士は「日本公泉論」(明治13年発行)で伊香保について記述しています。
博士は婦人科にかかわる病気や胃病などへの温泉の効用や、治療のための入浴法を入念に書き記しています。
また、「こうすればいい、このように改善を」と伊香保の温泉街の環境や衛生についてのアドバイスを色々残してくれました。これを受けて衛生環境を整えた伊香保温泉は、早くから保養地として政府や経済界の要人を迎えるようになりました。
●黄金の湯
泉質・・・硫酸塩船
もともとは無色透明ですが鉄分が含まれるため空気に触れると茶褐色になります。
適応症・・・ 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関
節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔
疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、
きりきず、やけど、動脈硬化症、慢性皮膚病、虚弱体質、高血圧
●白金の湯
泉質・・・メタけい酸単純泉
含有成分が微量なので無色透明無味無臭で、高齢者や病後の方に向いています。
適応症・・・ 病後回復期、疲労回復、健康増進
なぜ伊香保でハワイアン?それは、日本で唯一ハワイが独立国だった頃の史跡「ハワイ公使別邸」があるからです。毎年夏には今もハワイとの交流を深める伊香保ならではの催しとして、本場ハワイの優勝チームによる「メリーモナークショー」をはじめ、子供達によるケイキ・フラやハワイアン・ミュージックでお楽しみできます。
かつてハワイが独立国だった頃の日本駐在公使の別邸もあります。日本に残るハワイ王国唯一の建物です。
所在地 : 渋川市伊香保町伊香保29-5
営業時間 :8:30~17:00
休館日 :年中無休(12月25日~29日及び、企画展最終日の翌日は除く)
料金 :無料
温泉饅頭の発祥地は、群馬県伊香保温泉という説がある。明治時代、温泉地の名物となりうる甘味を開発する際に、薄皮饅頭が注目された。伊香保の源泉の色を再現するにあたり、当初は
源泉や湯の花を配合したがいい 結果が得られず、最終的に当時 容易に手に入るようになりつつ あった黒糖を利用し、茶褐色の饅 頭が作られた。
伊香保は昔から『子宝の湯』として評判を呼んでいました。明治天皇の御子である大正天皇も伊香保で授かったという説があります。また伊香保の御用邸での静養中に、子授け・安産の神様として知られている子持神社に明治天皇に愛された柳の局がお忍びで祈願をしにいき、その時老人に「この布を腹に巻いていればいい」と社殿にあった布を持たされ、まもなく懐妊されたという説もあるようです。どちらが効いたのがわかりませんが、伊香保滞在後に大正天皇は御誕生になられた説もあります。
使ってみよう!伊香保の方言
|
伊香保温泉の花、粋なお姐さん方が芸姑さん。彼女たちは伊香保温泉にこられたお客様を
愉しく遊ばせる「一芸をもって宴会に花を添える」職業のプロ。
「座を盛り上げる」「座持ち」をするのが基本の心。
様々なお客様のTPOに合わせて座敷をプロデュースしますが、これは決して容易いことでは
ないのです。
芸姑には舞を見せる舞妓と三味線など鳴り物を見せる弾姑がいます。どちらも日頃から見番
で練習をし、お座敷で披露してくれます。
最盛期は昭和30年代で約200人の大所帯だったというが、数は減っても現在その芸、心意気
は脈々と継承されているのです。
伊香保温泉では芸者大学を開催しています。
三味線1名芸姑2名の3名以上でお申込みいただき、芸者遊びを学びながら愉しんでいただこうというもの。
講義で一番ハッスルされた方には『お座敷遊芸道免許皆伝証』と粗品を授与いたします。気軽に芸者遊びをしてみませんか?
1日5組限定。伊香保温泉の各旅館にて実施。要予約。(詳細は各旅館のフロントにて)
伊香保温泉は日本の名湯と謳われる。
文人の入湯も多いとされ、室町時代では歌人の蕘恵、連歌師の宗祗と宗長、猪苗代兼載らが訪れ、それぞれ作品に残している。
近世になると、庶民の間に旅が流行し、伊香保に入湯する人も増えたようで、涼袋の「伊香保山日記」などをはじめとして、多くの旅日記に伊香保温泉が登場する。
徳富蘆花、木下尚江、長塚節、田山花袋、成島柳北、島崎藤村から萩原朔太郎、山村暮鳥、土屋文明まで 竹久夢二も伊香保を愛した一人。
与謝野晶子も「伊香保の町」という歌をつくっており、これが石段にきざみこまれている。
榛名山の一角に、段また段を成して、
羅馬時代の野外劇場の如く、
斜めに刻み附けられた桟敷形の伊香保の街。
屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、すべてが温泉宿である。
そして、榛の若葉の光が柔かい緑で街全体を濡してゐる。
街を縦に貫く本道は雑多の店に縁どられて、
長い長い石の階段を作り、
伊香保神社の前にまで、
Hの字を無数に積み上げて、
殊更に建築家と絵師とを喜ばせる。
与謝野 晶子(よさの あきこ、正字体:與謝野晶子、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は明治時代から昭和時代にかけて活躍した大阪・堺市堺区出身の歌人、作家、思想家。旧姓は鳳(ほう)。戸籍名は「志よう」。ペンネームの「晶子」の「晶」はこの「しよう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。
|
![]() |
||
|
|||
|
![]() ■徳冨蘆花記念文学館 所在地:群馬県渋川市伊香保町伊香保614番地の8 |
|||
|
今月の1枚 今月のベストショット みんなの画像投稿コンテスト!